都市は山の亡霊!
逗子八郎と言う方が、昭和17年ごろ書いた随筆「奥武蔵」には、武甲山に
ついて、「冬、十二月頃、雪の来る前、丸山のほとりを歩くのもよい。既に
芒の素枯れた高原を、左手に威圧的な武甲山、前面遠く、両神山の鋸の歯の
やうな山稜をながめつつ、アノラックをつきぬけるやうな寒風に真向かって
歩くことは、一種爽やかなものがある。」とか書れています。
丸山は、今日では、埼玉県民の森に組み込まれ、山頂にはコンクリ−トづ
くり展望台が展望台が立っています。勿論、わざわざ展望台に上らなくても
山頂から、真向かいに武甲山が間近に見えます。決して、威圧的な武甲山な
どではなく、赤裸になり、肉を削られて泣き喚くような、痛々しい姿です。
この山の悲劇は、山体が石灰岩できていたことです。そのために、表層は
剥ぎ取られ、骨格の石灰岩を切り取られ、セメントの生産に使われているの
です。武州の甲山も今はその面影もありません。出来上がったセメントが、
都市の建築物・構築物になっているのです。
武甲山は石灰岩質を好む特異な植物の宝庫であり、学術的にも重要な地質
の山でしたが、金に目のくらんだ、官僚、議員、企業家(資本家)のために、
破壊され尽くしたのです、
武甲山だけではありません。同じ秩父古生層に属する奥多摩でも石灰石が
採掘されています。目的は同じくセメントの原料としてです。また、各地の
山地では、表土が剥がされ、岩石を切り出し、粉砕して「砕石」を生産して
います。砕石は、セメント・砂と合して建築物・構築物に使われ、アスファ
ルトと合わせて、道路の舗装などに使われています。
高層ビルに代表されるビル群は、一見すると華やかですが、武甲山などを
始めとする多くの山々の山体を破壊し持ち出したものです。ですから、『都
市は山の亡霊』なのです。滅び行く山々は怨嗟の声を上げているように思え
てなりません。人々がほんの少し謙虚に考え、質素に徹して行動したならば、
これほど悲劇的な環境破壊は起こらなかったのではないでしょうか。
(2006/05/02)
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